牧師さんのノート09: 「キリストって復活したの?」




 私は矢板ホーリネス教会の牧師、田中敏信です。
今回は、「キリストって復活したの?」というタイトルにしました。

 前回は、イースターのお祝いの卵の事を書きました。今回は、イエス・キリストの復活について、ちょっと深い話題にします。

 「死んでしまったイエス・キリストが復活したなんて、何かの間違いじゃないの」といわれる事がよくあります。
 まず、こういう説明があります。
 「墓に入れられた時、イエス・キリストは仮死状態、つまり気を失っていた。それが墓の中の寒さで目を覚ました」という説明です。
 でも、この説明は無理です。
 イエス・キリストが十字架の上で死なれた時、近くにいたローマ軍の兵士が、確かめたと聖書に書かれています。イエス・キリストが死なれた後、そののわき腹を槍で突き刺しました。すると、血と水とが流れ出ました。槍で刺されたのでは、気を失っているどころではありません。

 もう一つ、有名な説明があります。
 「イエス・キリストの弟子達が、墓の中から死体を盗み出して別の場所に隠し『キリストはよみがえられた』と主張した」という説明です。
 この説明も、かなり無理があります。死体を盗み出したという弟子達に、そのチャンスがあったかどうか。またそんなことをする勇気が、弟子達にあったかどうかです。

 イエス・キリストが葬られた墓の入り口には、ローマ軍の兵隊が配置されていました。イエス・キリストを敵視する人々が、「もしかしたら、キリストの弟子達が死体を盗み出して、主はよみがえられたと言い出しかねない」と警戒したんです。それで屈強なローマ兵に、墓の前で見張りをさせた。
 「兵隊達が居眠りをした隙に」というのも無理です。当時のローマ軍の規則はとても厳しかったんです。たとえば警備をしている牢屋から、死刑囚が逃げ出したら・・。警備をしていた兵隊は、身代わりに死刑にされるという厳しさです。(死体が盗まれたら、自分の死体を身代わりにするんでしょうか・・)

 もし仮に、イエス・キリストの死体を盗み出すチャンスがあったとしたら・・。でもイエス・キリストの弟子達に、そんな勇気があったかどうかです。
 実は、イエス・キリストが十字架で死なれるよりももっと前、ほとんどの弟子達はイエス・キリストを見捨てて逃げ出してしまいました。最後まで粘ったペテロという弟子も、イエス・キリストが裁かれるのを、遠くから見守るのが関の山でした。
 そしてイエス・キリストがよみがえられたという日です。弟子達はイエス・キリストのように逮捕されるのが怖くて、自分たちのいる部屋の戸を閉め切って、隠れて震えていた。イエス・キリストの体を盗み出す勇気など、カケラもなかったのです。

 これらは、聖書の中の記録です。「それって弟子達が、自分たちの都合に合わせて聖書を書いたんじゃないの」と、友人に突っ込まれた事があります。(おっとっと)
 私は聖書の事を、とても正直な書物だと思っています。実際にあった事は、「あった」とはっきり書き、なかった事は、「なかった」と、正直に記録していると思っています。
 弟子達がしてしまった恥ずかしい失敗も、隠さずに書き残しています。「そんな、みっともない」と思われそうな、優秀な王様の大失敗も、真正面から暴きます。
 「キリストは、おとめマリヤからお生まれになった」とも、「キリストは死の三日目によみがえられた」とも、何一つ隠さずに伝えます。
 「そんな事が書かれていなければ、もっと多くの人に聖書を読んでもらえるのに・・」と思うような奇跡の記事も、聖書はそのまま伝えます。
 読む人の気分をあおるような激しい書き方を、決して聖書はしません。少し控えめに、静かに事実だけを伝えます。私は、そんな聖書の誠実さに心引かれます。

 最後にもう一つ。イエス・キリストのお墓は「今どうなっているのか」です。
 現在のイスラエルの国、エルサレムという町の外れに「イエス・キリストが葬られた」と思われるお墓の跡があります。もちろん、お墓の中は空っぽです。そして墓の入り口に、こう書かれています。
 『そのかたは、ここにはおられない。よみがえられたのだ』

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