牧師さんのノート22:
「クリスマスの贈り物」




 私は矢板ホーリネス教会の牧師、田中敏信です。
今回は「クリスマスの贈り物」がテーマです。

 クリスマスというと、ツリー・ケーキ・プレゼント・サンタクロース…と思い浮かびます。そんな中で忘れられがちな名前「イエス・キリスト」。この「クリスマスの主役」のことを書いてみます。

 私が牧師をしている教会の庭に、クリスマスツリー用のコニファーの木が植えられています。2006年に、教会がここに引っ越して来た秋に、1.5Mくらいのものをうえました。
それが、なんと成長が早く、3M近くになっています。手を伸ばしただけでは「てっぺんの星」を飾り付けることが出来ないくらいです。
以前の教会には、庭に樅の木がありました。「新しい教会にもクリスマスツリー用の木を植えよう」と、ホームセンターの苗木のコーナーに行ってみました。それで樅の木によく似た、コニファーを買って来たんです。後から聞いたんですが、アメリカで駐在生活をしていた人によると、クリスマスツリーには、コニファーがよく用いられているそうです。

 コニファーにしても樅の木にしても「常緑樹」ですね。つまり年間を通して緑色で、「生きている感じ」が伝わって来ます。イエス・キリストの福音の中心「永遠の命の教え」にピッタリするのは、やはり常緑樹の緑です。
ちょっと予断になりますが、クリスマスカラーという色があります。緑と赤、それに白を加えることもあるようです。
クリスマスプレゼントの包装紙や、クリスマスケーキの箱などには、このクリスマスカラーのものが多いようですね。
ヒイラギの飾りの緑。サンタクロースの赤い衣装。プレゼントのリボンも、赤や緑だったり。クリスマスツリーに降り積もった雪の飾りは、白。
緑は「イエス・キリストによる永遠の命」を表し、白は「聖書の教えの純粋さ」を表すのでしょうね。「赤」については、後で書きますね。

 ところでこのクリスマスツリーは、いつごろから飾られるようになったのでしょうか。
「あれえ。キリストがお生まれになった時からじゃないんですか?」とおっしゃる方があるかも知れません。
 そうですねえ。イエス・キリストがお生まれになった時の情景を想像してみましょうか。
「雪が降り積もった樅の木のそばに、小さな家畜小屋があって、その中で赤ちゃんのイエス様がすやすやと眠っておられる」というのが、絵になりそうですね。
でも、このシーンは間違いです。というのは、クリスマスツリーが飾られるようになったのは、イエス・キリストがお生まれになった後、およそ800年も過ぎたころからなのですから。

 紀元8世紀ころのヨーロッパ、現在のドイツ地方にキリスト教を伝えていた宣教師がいました。
その地方では、キリスト教はまだマイナー。メージャーなのは「豊作をもたらすと信じられていた神様」でした。
この「豊作の神様」に願いを聞いていただくには、それなりの献げものが必要です。つまり、大豊作をお願いするには、それなりに高価なものを献げなければなりません。
そして最も効果のある献げものは、人の命。中でも「子どもの命」が1番。
この献げものとして、子どもを殺して木に吊るす。豊作の神様が宿ると考えられていた常緑樹に、殺された子ども達が吊り下げられる。

 こんな話を聞きますと、いくらクールな私でも、心が痛みます。
「暗い冬の中、災いにあいませんように。春の麦の収穫が豊かでありますように。秋になったら、葡萄がたくさん実りますように」との願いと引き換えに、森のあちこちに子どもが吊るされている。

「そんなひどい話って、あってたまるか!」と思います。
そこで、この地方にキリスト教を伝えていた宣教師は、幼子イエス・キリストへのプレゼント、感謝の献げものを木に吊るしました。
もちろん、子どもや赤ちゃんではありません。これが、クリスマスツリーの始まりになったと、考えられています。

 幼子イエス・キリストに、プレゼントを献げる気持ち。わかります。イエス・キリストがなぜお生まれになったのかに関係があります。
イエス・キリストは、地上のご生涯の最後「十字架の死」を目指してお生まれになりました。
それは、天と地とをお造りなった神様、私達に対して生殺与奪の権を持っておられる神様の前に、私達が立つことが出来るようになるための、十字架の死を目指した誕生でした。

 こういうことです。
私達は、神様にお願いを聞いていただける程の良い物を持っていない。少なくとも、私は持っていない。
自分の大切な子どもを殺して木に吊るしたとしても、豊作はおろか、麦粒一つも増やすことが出来るかどうか。
まして、私達の人生の全てを天の王座でカウントしておられる神様の前に、この命を終えた後で立たされるとしたら。私の心の中には、神様に申し開き出来ないことが多過ぎて、未来は天国ではなく、永遠の滅びの方が確実です。

 しかし、この私のために「クリスマス」なのです。
神様の前に申し開きの出来ない私の身代わりに、イエス・キリストが十字架に貼り付けになって、罰をお受け下さった。
この「身代わりの死」のために、クリスマスにイエス・キリストがお生まれになったのです。
私の大切なものを木に吊るさなくてもよいように、私自身が木に吊るされて罰を受けないでよいように、イエス・キリストが私のためにお生まれ下さったのが「クリスマス」です。

 この「イエス・キリストの十字架の意味」がわかった時、私も、クリスマスツリーにプレゼントを飾りたくなりました。
「私のためにお生まれ下さり、ありがとうございます」という思いを込めた、喜びと感謝のプレゼントを。

 さて、クリスマスの飾り物としてよく知られている「クリスマスリース」のことも書いておきましょう。
クリスマスリースは、緑色の葉っぱと枝を円形に束ねて、赤いリボンや赤い木の実を飾りに付けた、直径30センチくらいのものです。
私が牧師をしている教会の玄関に、今年も飾っています。
以前の教会では、常緑樹の枝を円形に束ねて、毎年新しく作っていました。でも新しい場所では、とても日当たりが良くて、2〜3日しか緑色が保てません。
それで今年のクリスマスリースは、高校生の長女が、手芸用のフェルトなどを使って作りました 。

 そう、私の子ども達がまだ幼稚園に通っていたころのことです。テレビで「クリスマスリースを作りましょう」という、子ども向けの番組を見ました。
「こんなふうに、画用紙を丸く切ってリースの台を作りましょう。この台の上に、こういうふうに…リースの形になるように、マカロニを接着剤で貼り付けましょう。
色はどうしましょうかねえ。皆さんのお好みに合わせて、緑でもいいですし、銀色や金色で塗ると、豪華ですね。リボンの色も、リースに塗った色に合わせてみましょう…」

 実はこのクリスマスリースも、イエス・キリストの十字架に関係している飾り物です。
円形の輪ですよね。イエス・キリストが十字架に架けられる前に、無理やりに頭の上に置かれた「いばらの冠」がモデルです。
ですから材料も、緑色でとげのある枝。ヒイラギの枝を用いることが多いようです。
リボンと飾りの木の実は、赤。いばらのとげの傷口から流れる血の、赤色です。

 最後に、イエス・キリストがお生まれになった時の様子を伝える聖書の記事を、ご紹介します。
新約聖書のルカによる福音書という部分の、2章1節から11節までです。
それでは皆さん、すばらしいクリスマスをお迎えになりますように。

【 聖 書 の み 言 葉 】
[ルカによる福音書2章1節〜11節]

 そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。これは、クレニオがシリヤの総督であった時に行われた最初の人口調査であった。人々はみな登録をするために、それぞれ自分の町へ帰って行った。ヨセフもダビデの家系であり、またその血統であったので、ガリラヤの町ナザレを出て、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。それは、すでに身重になっていたいいなづけの妻マリヤと共に、登録をするためであった。ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。
 さて、この地方で羊飼たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。すると主の御使が現れ、主の栄光が彼らをめぐり照したので、彼らは非常に恐れた。御使は言った、「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。

↑前のノートページ21に ↓次のノートページ23に
「牧師さんのノート」のバックナンバーに 矢板ホーリネス教会のトップページに